haco.世代の人たちが憧れる今をときめく人たちが、かつて何を指標にして、どのようなキモチで行動していたのかを探っている、Boys and Girls,be ambitious!プロジェクト。
映像作家・携帯写真家の塚本修史さんに突撃インタビューをしてきました。
塚本さんは、写真技術と映画製作をカリフォルニアの大学で学び、帰国して映像制作会社でプロデューサーとしてご活躍されます。その後、自ら映像制作会社を設立して、主にTV番組、プロモーションを手がける一方、携帯写真家という新しいジャンルを切り開き、作品を個展やブログで公開されています。
●塚本さんは、20、30歳代をどのように過ごされていましたか?
高校卒業後、大学で経済学を学ぶ傍ら、映像の仕事がしたいなと思っていて、在学中もシナリオの勉強をしたり、映画館に通って知識を深めたりしていました。大学を卒業してから、映画の勉強をするためにアメリカの大学に入学しました。20歳代のほとんどをアメリカで過ごしたので、アメリカで学んだことがあまりにも多かったですね。あの時期に自分をリセットできたのだと思います。
30歳代になって、日本に帰国しました。そして、映像制作会社に就職し、プロデューサーの仕事をしました。ここで、映像制作の川上から川下まですべて学んだと思います。アメリカで映像の勉強をしたとはいえ、日本でのやり方と全く違いますから。ここでコスト管理からスタッフ管理まで、日本のやり方のすべてをしっかり身につけました。
●仕事をする中で、ココロにとめていたことはありますか?
言われた仕事はきちんとやる、ということです。
「こうしたらいいのにな」という思いは常にあったので、自分のもっていきたい方向にいくように、企画を通していました。しかし、ただやりたいことをやっていたのではなく、粛々と仕事をこなしていました。
赤字を出さず、利益をだす。どんな仕事でも、言われた仕事は納期通りに完成させました。
●なるほど、自分のいいと考える方向にもっていきつつも、しっかり結果を出していたんですね。
その後、携帯写真家としての活動始められますよね?何がきっかけだったのですか?
40歳を過ぎたあたりから自分の職業に不安を感じ始めたのです。今は順調に進んでいたとしても、いつか枯れてゆく時があるのではと…。そうじゃない人もいると思うのですけれど、映像ではないところで、自分を発信していきたいなと思い始めたのです。40歳を期に、自分を発信しなければいけないと感じはじめました。
●それで、携帯写真家を目指されたのですか?
いえ、目指したわけではありません。そのとき、携帯写真というジャンルが確立されたものではなかったのです。インターネットで検索しても、ほとんどひっかからなかったですから。その当時、携帯写真をやってる人はまだあまりいなかったし、ましてや携帯写真展をやったのが、たまたま、ぼくが初めてだったのです。それで、チャンスがあるのではないかと思いましたね。
常にアンテナを張っていれば、必ず気づきがあるものなのです。だから、はじめから携帯写真家になろうと思ってなったわけではないのです。決して画策してやったわけではない。ただ、考え方としては間違えてなかったと思います。
もしかしたら着地できるかもしれないゴールが、誰にでもあると思うのです。
●見えないゴールですか?
そう。今は見えなくても、行き着く先に、もしかしたら着地できるかもしれない見えないゴール。ジャンルや職業として今見えているものではなく、見えてないものなのですけどね。そのゴールが自分にとっての携帯写真だったのかもしれません。
そこを目指して進んできたわけでなく、自然とその方向に向かって行ったように思います。
●最後に、haco.世代の人に向けて、メッセージをいただけますか?
そうですね、若い世代の人には「人生ムダなし」ということを伝えたいです。
その時は「なんでこんなことしなきゃいけないのだろう」と感じることも、いつか自分の血となり肉となり、返ってくる。必ず10年後、20年後…、ブーメランのように、しばらくたってから戻ってくるんですよ。決してムダなことはないのです。
経済学を学んだこと。写真を学んだこと。すべて今の自分の糧となって、戻ってきています。
自分の見えないゴールは、常にアンテナを張っていればいつか見えてくるのではないかと思います。
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塚本さんのオフィシャルサイトには作品の一部が公開されていますので、
ぜひチェックしてみてください。
http://void-jp.com/